大腸内視鏡検査

大腸内視鏡検査は6年ぶり?
皆さんに話しを聞いてみると、ほとんどの方が毛嫌いされる。
私もたしか三度目であるが、進んでしようとは思わない。
つらいイメ-ジがある。
前日から食事内容の制限、等もあり出来ればしたくない検査です
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「おの胃腸科クリニック」を紹介された電話(61-1112)
すでに満員の予約状態でしたが12月8日にして戴く
当日の平成21年12月8日は朝から前処置で大変である。
病院に検査に行く前に処方箋にのっとり
約2リッタ近い液体(マグコロ-ルポカリp)を
約一時間かけて飲まなければならない。しばらくすると
腹がグルグルと下剤の効果が現れてくる。
何回もトイレに駆け込み、ほぼ腸を空の状態にして
綺麗にしたところで病院へ行き、内視鏡の検査である。
病院に検査に行ったら数名の外来患者がみえていた。
約40分近くすると名前を呼ばれて着替え
病院のベッドへ・・緊張する瞬間である。
緊張をほぐすため眠気をうながす注射を打つ
横向きになりいよいよ内視鏡で腸の中を丹念に検査
結果はポリープが数個あったが5mm以下の大きさのため
そのまま切り取らない、しかし来年は解らないので
内視鏡の検査をするように言われた。
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今回なにごともなく終えホットしました。
切除しなかったので、これで今日から
安心して運動も、晩酌も出来る。
①内視鏡検査の
参考サイト



古希

まだまだ先の事と思っていた
先日、E君から電話あり
忘年会を兼ね
12日に古希の同窓会(小中学校)打ち合わせを
開催したいとのこと
そう言えば
あと27日で古希(満69歳)を迎える歳になった。
最近、小学校の同窓生の訃報を聞くようになり
えぅ・・あの人がと息をのむことが多くなった。
早いものである、気持ちは若いが身体の方は
正直に反応している目は緑内障、歯は入れ歯、膝
髪の毛は白くなり、皮膚には斑点とシワ等々・・・
段々と出てくる。
でも不思議に気持ちは歳をとらない・・
まだまだ青春である(笑)
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古希について調べてみたら次のことが書いてあった。
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提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
古希(こき。原文の表記は古稀。「稀」は常用漢字にはないので現在では古「希」と書くことが多い)とは、70歳のこと。
唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。(しかし)人生七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。
還暦は数えの61歳(≒満60歳)であるが、古希は数えの70歳(≒満69歳)のこと。昔は70年生きる人は希であったことから、長寿の祝いとされている。お祝いの色は、喜寿祝いと同じく、紫色。
長寿の祝いには、他に、還暦(かんれき)、喜寿(きじゅ)、盤寿(ばんじゅ)、傘寿(さんじゅ)、米寿(べいじゅ)、卆寿(そつじゅ)、白寿(はくじゅ)、百寿(ひゃくじゅ)などがある。
清の乾隆帝は「古稀天子」と自ら称し印判などにも用いた。中国史上古稀を迎えた天子は乾隆帝の他は梁の武帝、南宋の高宗などわずかしかおらず、統一王朝の皇帝となると空前といってよかった。
1939年に双葉山が安藝ノ海に負けて連勝が69で止まると、当時の大相撲ラジオ中継の和田信賢アナウンサーがこれを引用し、「やはり七十古来稀なり」との名言が全国に放送された。
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次は喜寿らしいが
数え年77歳の年祝いをいう。喜の字の祝いともいうように、喜の字の草書体が七十七と書かれるからである。喜寿の祝いは平安時代以前にはなく室町時代の末期ごろから行われるようになったらしい・・・
目標は米寿の88歳
しかも元気で長生きでピンピンころりといきたいものだ 秊