「S家運営管理」カテゴリーアーカイブ

我がS家、運営本家の管理一切をする事になったのでブログで記録に残しておきたい。

二回目地域包括支援センター打合せ

 令和6年1月12日に
場所は大宮高校南隣の大宮地域包括支援センタ-2階会議室にて
前回の令和5年12月12日(火曜)に引き続き2回目の打ち合わせを行うセンタ-に15分前に到着、本日は早朝登山はお休み
午前9時30分より打ち合わせ6人
包括支援センターK所長司会進行のもと各自の自己紹介
ケアマネジャーKさん行政書士のSさん、私ビオラ氏と妹、義弟

あとK所長によりの司会進行で会議が進行する。

義姉のケアマネジャーであるKさんから義姉の様子(介護度は1、歩行能力、金銭管理はバツ、食事等生活の様子 デ-サ-ビスによるお風呂は週1回)

次に女性のS行政書士より成年後見制度の事等について説明 
私から甥のことを含めて今までの経緯と現状報告

発達障害(甥)のこと、毎日の行方不明、行動不明、常時居留守、連絡とれない 

義姉の財産等調査しておく等 財産管理を専門家に任せる成年後見制度?
以上会議終了 午前11時20分頃(約2時間)

地域包括支援センターとは

会議終了あと妹と、もとの実家へ行くと綺麗に解体されて更地になっていた(写真)
昼は打ち合わせもあり近くの長崎チャンポンへランチ、そのあと神宮のK宅へ留守だった。
あとで電話が来た(義姉、甥の事で話す行政と相談したことも)

包括支援センターに相談

令和5年12月26日AM10:00 大宮地区の包括支援センタへ妹と説明を聞きに行く
場所は大宮高校の南隣り

狭い応接室に案内されまっていると
名札つけた所長の?Kさんが入室
相手が我々に説明を求めながらメモをとってゆく形式で

最初 自分たちの家系図説明
論点は2点
①義姉の事(介護(認知2?)生活 施設に入れる?施設は月約12万前後
財産保全
ケアマネージャとの相談 後見人制度利用

K君の事 発達障害? 後見人制度利用

本家の解体工事

今日令和5年12月25日から実家解体工事が始まるため現場見学する。
建築はまだ私が24歳時に完成、約60年前の実家であるが

平面図は私ビオラ氏が作成した大工さんは従兄弟のT兄ちゃん
思えばS家の歴史をそのままこの家を中心に兄弟4人も育ってきた。
それだけに色々思い入れのある本家がいよいよ取り壊される
妹は悲しくて涙が出たと、今更ながら甥を恨んでも元には返らない

午前10時過ぎに花ヶ島の現場に行ってみると
すでにS解体屋が外側のブロック塀と東側の庭を取り壊しにかかっていた。
現場の方に工期を聞いたら来1月の10日頃に終わるとの事でした
工事中の写真をスマホ撮影する。

兄の喪服と黒ネクタイ、木製椅子を持ち帰る。
これからは毎日の様に現場に行きスマホ撮影して行き記録を残しておきたい。

実家管理

原因は妹の所に、いとこの嫁(Yaちゃん)から電話あり
私の実家にトラックがきてダンボ-ルにいれた荷物を運んでいると・・・
あわてて妹が近くの実家にいったら家の中はすっからかんに唖然とする寝耳に水である。

令和5年12月15日この事を兄である私に妹から連絡あり(既に二人の兄は他界)
確認の為、当の本人K君に電話で聞いて見たらすでに
国道10号線の元家に引っ越したとのこと、理由をきいたら母の為?
すでに実家の家は売却して近々取り壊す、すべて本人が考えて実行したと・・?

翌日の12月16日、電話では要領を得ないので妹宅に直接行って
話を聞く、話が終わり一緒にランチ(ラ-メン屋)をしたいと事前にK君に電話いれる

その足で国道沿いの旧家へ甥のK君が忙しいそうに工事屋さん等と話していた。
義姉もベッドに寝ていた。
狭い家に洗面、浴槽など改装工事もすべて終えていた。
一段落したところでK君を食卓テ-ブルに着かせて
いったいこれは、どうした事かと問いただす、。

もともと、お金が無くなって神宮のK叔父さんへ借りに行ったことが発端

当初、兄がアルツハイマーになった時点で相当な金銭、証書があったのでびっくりした、
それにしても綺麗に使い果たしたもんだ、何に使ったかを問い詰めてもだんまりを決め込む甥
その場は私も怒りが頂点にたっしテ-ブをたたきながら甥を罵倒し続けた。
結局、地元のY不動産と話をした結果、誰とも相談することなく
実家を売却して手付け金までもらっていた。

ここから神宮のK宅へ3人で訪問(私、奥、妹)
K君がお金借りにきた事(100万円)Y不動産屋を紹介した事

場合によっては「成年後見人」制度も活用?

下写真は引っ越し先の住宅で中を見たらまだ引っ越しのダンボ-ルが山積みされていた
また新しくエアコン1台のみ、ユニットバス2軒分、洗濯機なども新しく購入されたいた。