「冠婚葬祭」カテゴリーアーカイブ

従兄弟の訃報

yjimageaaaHさんからも、前もってメ-ルが来て
今朝は1ヶ月ぶりの敬老パスカ-による温泉会で山仲間との飲み方を楽しみにして、その準備を
していたら、兄より電話で従兄弟のSさんが亡くなり今日が葬式とのこと、びっくりして新聞みたらAM 10:10からと記載してあった。

つい数ヶ月前に元気な姿で見た従兄弟のSさんに、なにがあったのか?なにはともあれ即、あわてて喪服すがたに着替えて
花ヶ島のJA葬儀場へ・・・
親族代表の挨拶の中で経過を聞いた
風邪を引き、なかなか治らないので病院で検査したら、な・なんと肺がんとの事
それも、手遅れで、わずか10日間の入院だったそうである。頑丈な身体で、それまではまったくの
自覚症状もないし、本人も気づかないまま突然の訃報である。
突然、大木が倒れるような自信過剰が命取りとなるケ-スでした。最低でも年に1回は人間ドッグでの検査は大事であることをあらためて認識させられた。三十数名いた従兄弟も最近、次々と他界して7人がすでに亡くなっている。もうそんな歳になったのかと時間の経過に複雑な思い・・・・

 

従兄弟がしらのToさんのご冥福を心からお祈りします(合唱)

 

故母の思い出DVD

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母が亡くなってから約3ヶ月(92日)が経過した
以前から撮りためていた静止画と動画の画像(アルバム集より、特別老人ホ-ム、葬儀、50日祭等々)
により、気になっていたDVDが
Windowsム-ビメ-カ-とPowerDirectorのソフトを使ってやっと完成した。
BGMは(窓辺の風、煌めくクリスタル、マイウエイ、地中海の瞑想等々)
再生時間は約50分
鑑賞して見てみると、沢山の思い出が昨日のように
思い出され胸にジ-ンと来る、
必ずいつか来る自分用のも準備しておくといいと思った。



五十日祭・納骨祭

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先月8日に母が亡くなり、法要の日程表に基づき
今回
神式による50日祭までの準備も終えて
1月20日(日曜日)に50日祭と納骨祭を行った
50日祭までの準備事項(参考までに)⑤⑥は葬儀社(ファミユのTさん)と打ち合わせた
①家族会議で日時を決定
②出雲神社への連絡
③喪明当日のお膳準備
④御霊舎 準備する(お米、塩、水、お酒)花、榊
   http://www4.ocn.ne.jp/~murata.k/subsosen2.html
⑤喪明お礼状
⑥喪明商品の手配(発送先名簿の作成)
⑦墓石に故人名記入
⑧納骨前の墓石チェック
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時間は10時半に神官のKさんに実家に来て頂き
50日祭を執り行い、次に全員で近くの墓場にいき
納骨祭が11時45分終了その後
移動して実家で直来
祭事が無事終了して、まずはホットした一安心である。



母との別れ

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12月8日午前2時54分、母が亡くなった。
満96歳の大往生とはいえ つらくて悲しい
直接な死因は老衰にともなう肺炎、パ-キンソン症候群で手は固まったままだった。
気丈な母も
毎日会っていた私の弟の(三男 )62歳の突然の死は、一番心を寄せていただけに
そうとう堪えた様子だった
いつも枕元の写真を見て、なんでなんでと・・・話しかけていた。
忌明けの時には皆んなの前でも、はばからず号泣していた様子が
今も頭に残っている。
それから又しばらくして、
いつも温泉などで同伴していた、同居の孫が
乳がんで末期をむかえるなど、つらくて悲しい出来事が続いたせいか
93歳を半年過ぎた頃から精神的にも不調を訴え
要介護度がだんだんと増えて体の機能が衰え車いす生活になった
自宅での介護が困難になり、特老介護施設の「シルバ-ケアセンタ-野崎」では、
要介護度5のベッドに寝たきりの生活、ここの介護施設では
本当によくお世話をしていただいた。
その間
約4年近く、できるだけ会って話し相手など
ずっとその様子をみてきた・・・
見舞いの帰り際にはいつも、ありがとう・・と
その声を聞く度、つらいものがあった。
今年9月18日頃から度々、不安定になってきて内科の先生からも
呼び出しがあり
覚悟してほしいと告げられたが、また持ち直しの繰り返しだった。
12月7日、携帯に電話ある、最近の様子で
今度はいよいよかと思った。
身内にも連絡する、部屋も一人部屋に移動、腕等から接続されたモニタ-に
心電図、脈、呼吸の様子が数値で解るように取り付けられていた。
母が寝ている部屋に、宿泊しますか?
と聞かれたが、自宅で寝ていると真夜中の12時過ぎに、様子がおかしいと電話があり
かけつけると モニタ-の数値が段々と小さくなり、最後には
N先生から亡くなりましたと告げられた。
三家族が見守る中、静かに天国へ旅立ちました。
悲しみにくれている暇はなく、つぎつぎと
葬儀屋の手配、介護施設の衣類の整理などして、遺体を化粧して実家へ
葬儀屋との打ち合わせ
あと、仮通夜、本通夜、葬式の準備でバタバタとめまぐるしい時間が過ぎる。
でも無事に葬儀まで終わりホットする。
これからも次々とお祭りの準備等々で
しばらくは気が抜けない日がつづく。
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叔父との別れ

8人いた父方の兄弟の
伯父さんが又この世を去った
5月18日転んだのが原因で短期間の入院のまま
あっと言う間の
94歳の大往生だった、 
残りは伯母さん89歳が一人となり寂しくなる。
9月29日 お通夜午後6時半
  30日 告別式は9時40分出棺11時10分
場所はプリエ-ル宮崎花ヶ島の社
上記のお通夜と告別式に出席して
小さい頃からの叔父さんとの思い出が次々と浮かんできた。
ご冥福をいのります (合掌)
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赤ちゃん誕生~!

120908_0530~02.jpg9月8日早朝、息子から嬉しい写メ-ル
開いて見ると「無事産まれました」
Mちゃん頑張って今朝 2時58分、3245グラムの男児誕生
母子とも元気とのメ-ル
おめでとう~~無事に予定どおりで一安心しました。
Mちゃん大変でしたね
お疲れ様でした。



一年忌

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平成21年12月12日
姪の一年忌・・はやいものである。
午前10:30分より3回に分けて出雲神社~墓地~実家と
祭典を3回行い11時頃からなおらい・・・
一年忌に間に合うよう妹夫婦のキュウリのの収穫作業
を手伝う・・
早朝7時には農園に行き
鈴なりのキュウリの久しぶりの収穫作業は楽しかったσ(^_^;)
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やすらかに・・・

1月5日の朝
兄から電話があった・・・
内容は「昨日の夜22時に娘が亡くなった」と・・・
元気ない声が耳に響いた。
一瞬、胸がつまりそうだった。
小さい頃より見ているので今までの事が
走馬燈の様によみがえった。
病院で最後の放射線療法を終えて自宅での療法に切り替えたが
昨年の秋あたりから、私が会うたびに悪化しているようだった。
兄も毎日、その痛ましい姿を朝夕、見ていたので
つらかったと思う。
最近の病状から覚悟はしていたものの、早い旅立ちだった。
まだ47歳の若さである。
癌は無情にも身体全身を蝕み
 ボロボロになるまで広がっていた。
幸い、最後は眠るようにやすらかな顔だったとの事。
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5日の仮通夜、6日本通夜、7日葬式も滞りなく終える。
 jちゃん、天国でやすらかに・・・合掌
バナナさん、ム-君、Mちゃん、弔電ありがとう。