「冠婚葬祭」カテゴリーアーカイブ

義弟嫁の急死

2019年は奥の親戚の従兄弟達が次々と他界した、宮崎市内在住のToさん、新富八幡宮、宮司のKさん、三股のHさん そして住吉の叔母さんと・・・
葬式が相次いだ。
また
今年2020年1月4日は昨年暮れの31日に長野から帰宮した息子家族を連れて挨拶し
庭の入り口で見送って、もらったばかりの
元気だった新富実家の嫁、Eさんが急死する(浴室内での脳内出血)
4日(土)仮お通夜、5日(日)お通夜、6日(月)告別式 と3日間は自宅と新富町往復で慌ただしかった。

丁度、4日朝のスロージョギング中、スマホに奥から直ぐ引き返してくれと急死の知らせあり
慌てて帰宅
あっけなく去って行ったEさんの死が、いまだに信じられない思い享年73歳だった。

5日のお通夜は、葬儀場は超満員、神式での玉串奉奠(たまぐしほうてん)は前列から振り返って見ると
長い行列が続いて、あとで受付の方に聞いて見たらなんと約400名近くの出席者に驚いた。
喪主の義弟Mちゃんは出席者の皆さん全員に玉串奉奠をして貰いたいとつぶやいていたので
その思いがかなって良かった。

今回、亡くなった親の跡を次いだばかりの神官のT君も二日間にわたり立派にお努めを果たし拍手を送りたい
奥の実家の隣り、親戚Tちゃんの息子で小さい頃、よく知っていた。

改めて、生前民生委員でもあったEさんの交友の多さには敬服だった。
丁度庭の蝋梅の花が満開で酔いしれる香りがとてもよい時期でした・・ご冥福をお祈りします。

兄の急死

今回、妹からの電話で兄の急死の知らせにびっくり・・
兄は自宅から7月30日に入所したばかりのショ-トステイ先で翌日31日の朝6時
心拍停止でぐったりとなっていた、慌てて県病院に緊急搬送・・約30分間蘇生したがダメだった。
聞くところによるとショ-トステイ先で囲碁をするのを楽しみにしていたらしいが
昭和12年生まれの82歳でした、もう少しは長生きしてもらいたかった!

私ビオラ氏は丁度、翌日(8月1日)からの北アルプスの遠征登山を予定し3年ぶり
楽しみにしていたがまさかである、残念ながら急遽断念した。
ほかの同伴予定の皆さんには申し訳ないσ(^_^;)

7月31日は午前中から県病院へ遺体引き取り、葬儀屋など連絡手続き他でバタバタ
肝心な息子は稲刈りの真っ最中で手が離せず、結局奥と二人・・急な事で何かと大変でした。
8月2日に通夜、3日に葬式を無事終える事で出来てホットしました。
親戚を中心に、こじんまりと、した家族葬でした。
こんな時しか会えないよねと花ヶ島地区の親戚、友達それぞれ皆さんいい歳を重ねておられる。

4人いた兄弟も13年前に弟を亡くし、ついに妹と2人になり寂しくなった。

7月17日は父の命日

父(74歳没)が亡くなり(ちなみに今の私と同年齢)すでに29年になる、早いものだ丁度、石原裕次郎も同じ7月17日なので
テレビ、ネット等でも報道するから、忘れることはない。

29回忌に午前中にご先祖の眠る墓参りに、同じ墓地内にある弟(62歳没)の墓にも参拝
その後、実家へ行き神棚へ参拝お線香をたてる。
実家には、父、母、姪とすでに写真が三枚並んでいる。いつの日が時が過ぎて、人は誰でも自然に帰ってゆく。
もう残された時間は、そんなに多くはないそれまで一日一生の思いで生きたいものだ。

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マンゴ君の誕生日

5555今日平成27年1月8日はマンゴ君の誕生日だね。
おめでとう~~

もう10歳かな・・はやいもので、すっかり身体も大きくなって・・
おねえちゃんを追い越しそうだね。
今日はどんな誕生日パ-テイかな?

一緒に祝えず残念だけど、また元気な一段とたくましくなった
まんご君との再会楽しみです。
お祝いに、ここをクリックするとお楽しみが・・。

義父の20年忌

早いもので義父が平成6年に逝ってから今年の平成26年12月で、ちょうど20年経過する。
私が53歳の時になる、気がつけば、だんだんその歳に近づいてくる。
平成26年12月6日(土)久し振り奥の実家で兄弟夫婦全員が集まった。
午前11時から神官さんに来て戴き御祓いをして戴く。

家での御祓いが終わると場所を墓地に移動してそこでも
御祓いの儀式、あいにく寒くて風が強くて、大きな神官さんの帽子が数回
飛ばされた。
丁度、正午より神官さんを交えた「直来の儀」で、沢山のご馳走がならぶ
いろいろ準備等一式をされた、実家の義弟夫婦に感謝である。

久しくくつろいで、最初はビ-ル次に焼酎を飲む頃になると
酔いの勢いもあってか、いつになく能弁になっていた。
他の兄弟皆さんは誰も飲まないのでほとんど1人酒だった。

最近は特にアルコ-ルが入ると
気分がよくなり躁状態になり、おしゃべり、歌、踊り・・・と
楽しくなる。

この日は土曜日で明日の航空祭に備えて
ブル-インパルスの飛行訓練がちょうど
真上いったいの青空のもと行われていた。

その迫力にしばし釘付けになり
思わず静止画、動画を繰り返し撮り続けた。

以下ネットより
ブルーインパルスは、航空自衛隊に所属する曲技飛行隊の愛称であり、航空交通管制における編隊のコールサインである。 当初は部隊の中の1チームという位置づけであったが、1995年には制式に1部隊として独立した。Wikipedia

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義父の飾って有る写真を見ていたら、つい昨日の様にあの日のあの時の思い出が蘇った・・・月日の経つのは瞬く間だ今できる事、今しか出来ない事
まずは健康一番に楽しく毎日を過ごそう。
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こんなに間近に目の前で繰り広げられる青空を舞台にした飛行アクロバットに冷たい風と寒さも
忘れて、しばし酔いしれた

従兄弟の訃報

yjimageaaaHさんからも、前もってメ-ルが来て
今朝は1ヶ月ぶりの敬老パスカ-による温泉会で山仲間との飲み方を楽しみにして、その準備を
していたら、兄より電話で従兄弟のSさんが亡くなり今日が葬式とのこと、びっくりして新聞みたらAM 10:10からと記載してあった。

つい数ヶ月前に元気な姿で見た従兄弟のSさんに、なにがあったのか?なにはともあれ即、あわてて喪服すがたに着替えて
花ヶ島のJA葬儀場へ・・・
親族代表の挨拶の中で経過を聞いた
風邪を引き、なかなか治らないので病院で検査したら、な・なんと肺がんとの事
それも、手遅れで、わずか10日間の入院だったそうである。頑丈な身体で、それまではまったくの
自覚症状もないし、本人も気づかないまま突然の訃報である。
突然、大木が倒れるような自信過剰が命取りとなるケ-スでした。最低でも年に1回は人間ドッグでの検査は大事であることをあらためて認識させられた。三十数名いた従兄弟も最近、次々と他界して7人がすでに亡くなっている。もうそんな歳になったのかと時間の経過に複雑な思い・・・・

 

従兄弟がしらのToさんのご冥福を心からお祈りします(合唱)

 

故母の思い出DVD

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母が亡くなってから約3ヶ月(92日)が経過した
以前から撮りためていた静止画と動画の画像(アルバム集より、特別老人ホ-ム、葬儀、50日祭等々)
により、気になっていたDVDが
Windowsム-ビメ-カ-とPowerDirectorのソフトを使ってやっと完成した。
BGMは(窓辺の風、煌めくクリスタル、マイウエイ、地中海の瞑想等々)
再生時間は約50分
鑑賞して見てみると、沢山の思い出が昨日のように
思い出され胸にジ-ンと来る、
必ずいつか来る自分用のも準備しておくといいと思った。



五十日祭・納骨祭

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先月8日に母が亡くなり、法要の日程表に基づき
今回
神式による50日祭までの準備も終えて
1月20日(日曜日)に50日祭と納骨祭を行った
50日祭までの準備事項(参考までに)⑤⑥は葬儀社(ファミユのTさん)と打ち合わせた
①家族会議で日時を決定
②出雲神社への連絡
③喪明当日のお膳準備
④御霊舎 準備する(お米、塩、水、お酒)花、榊
   http://www4.ocn.ne.jp/~murata.k/subsosen2.html
⑤喪明お礼状
⑥喪明商品の手配(発送先名簿の作成)
⑦墓石に故人名記入
⑧納骨前の墓石チェック
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時間は10時半に神官のKさんに実家に来て頂き
50日祭を執り行い、次に全員で近くの墓場にいき
納骨祭が11時45分終了その後
移動して実家で直来
祭事が無事終了して、まずはホットした一安心である。



母との別れ

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12月8日午前2時54分、母が亡くなった。
満96歳の大往生とはいえ つらくて悲しい
直接な死因は老衰にともなう肺炎、パ-キンソン症候群で手は固まったままだった。
気丈な母も
毎日会っていた私の弟の(三男 )62歳の突然の死は、一番心を寄せていただけに
そうとう堪えた様子だった
いつも枕元の写真を見て、なんでなんでと・・・話しかけていた。
忌明けの時には皆んなの前でも、はばからず号泣していた様子が
今も頭に残っている。
それから又しばらくして、
いつも温泉などで同伴していた、同居の孫が
乳がんで末期をむかえるなど、つらくて悲しい出来事が続いたせいか
93歳を半年過ぎた頃から精神的にも不調を訴え
要介護度がだんだんと増えて体の機能が衰え車いす生活になった
自宅での介護が困難になり、特老介護施設の「シルバ-ケアセンタ-野崎」では、
要介護度5のベッドに寝たきりの生活、ここの介護施設では
本当によくお世話をしていただいた。
その間
約4年近く、できるだけ会って話し相手など
ずっとその様子をみてきた・・・
見舞いの帰り際にはいつも、ありがとう・・と
その声を聞く度、つらいものがあった。
今年9月18日頃から度々、不安定になってきて内科の先生からも
呼び出しがあり
覚悟してほしいと告げられたが、また持ち直しの繰り返しだった。
12月7日、携帯に電話ある、最近の様子で
今度はいよいよかと思った。
身内にも連絡する、部屋も一人部屋に移動、腕等から接続されたモニタ-に
心電図、脈、呼吸の様子が数値で解るように取り付けられていた。
母が寝ている部屋に、宿泊しますか?
と聞かれたが、自宅で寝ていると真夜中の12時過ぎに、様子がおかしいと電話があり
かけつけると モニタ-の数値が段々と小さくなり、最後には
N先生から亡くなりましたと告げられた。
三家族が見守る中、静かに天国へ旅立ちました。
悲しみにくれている暇はなく、つぎつぎと
葬儀屋の手配、介護施設の衣類の整理などして、遺体を化粧して実家へ
葬儀屋との打ち合わせ
あと、仮通夜、本通夜、葬式の準備でバタバタとめまぐるしい時間が過ぎる。
でも無事に葬儀まで終わりホットする。
これからも次々とお祭りの準備等々で
しばらくは気が抜けない日がつづく。
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叔父との別れ

8人いた父方の兄弟の
伯父さんが又この世を去った
5月18日転んだのが原因で短期間の入院のまま
あっと言う間の
94歳の大往生だった、 
残りは伯母さん89歳が一人となり寂しくなる。
9月29日 お通夜午後6時半
  30日 告別式は9時40分出棺11時10分
場所はプリエ-ル宮崎花ヶ島の社
上記のお通夜と告別式に出席して
小さい頃からの叔父さんとの思い出が次々と浮かんできた。
ご冥福をいのります (合掌)
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