母との別れ

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12月8日午前2時54分、母が亡くなった。
満96歳の大往生とはいえ つらくて悲しい
直接な死因は老衰にともなう肺炎、パ-キンソン症候群で手は固まったままだった。
気丈な母も
毎日会っていた私の弟の(三男 )62歳の突然の死は、一番心を寄せていただけに
そうとう堪えた様子だった
いつも枕元の写真を見て、なんでなんでと・・・話しかけていた。
忌明けの時には皆んなの前でも、はばからず号泣していた様子が
今も頭に残っている。
それから又しばらくして、
いつも温泉などで同伴していた、同居の孫が
乳がんで末期をむかえるなど、つらくて悲しい出来事が続いたせいか
93歳を半年過ぎた頃から精神的にも不調を訴え
要介護度がだんだんと増えて体の機能が衰え車いす生活になった
自宅での介護が困難になり、特老介護施設の「シルバ-ケアセンタ-野崎」では、
要介護度5のベッドに寝たきりの生活、ここの介護施設では
本当によくお世話をしていただいた。
その間
約4年近く、できるだけ会って話し相手など
ずっとその様子をみてきた・・・
見舞いの帰り際にはいつも、ありがとう・・と
その声を聞く度、つらいものがあった。
今年9月18日頃から度々、不安定になってきて内科の先生からも
呼び出しがあり
覚悟してほしいと告げられたが、また持ち直しの繰り返しだった。
12月7日、携帯に電話ある、最近の様子で
今度はいよいよかと思った。
身内にも連絡する、部屋も一人部屋に移動、腕等から接続されたモニタ-に
心電図、脈、呼吸の様子が数値で解るように取り付けられていた。
母が寝ている部屋に、宿泊しますか?
と聞かれたが、自宅で寝ていると真夜中の12時過ぎに、様子がおかしいと電話があり
かけつけると モニタ-の数値が段々と小さくなり、最後には
N先生から亡くなりましたと告げられた。
三家族が見守る中、静かに天国へ旅立ちました。
悲しみにくれている暇はなく、つぎつぎと
葬儀屋の手配、介護施設の衣類の整理などして、遺体を化粧して実家へ
葬儀屋との打ち合わせ
あと、仮通夜、本通夜、葬式の準備でバタバタとめまぐるしい時間が過ぎる。
でも無事に葬儀まで終わりホットする。
これからも次々とお祭りの準備等々で
しばらくは気が抜けない日がつづく。
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