「冠婚葬祭」カテゴリーアーカイブ

法事(奥の実家)

奥の実家の長男の嫁(e子さん)が令和2年1月4日73歳で没
今日令和6年12月14日(土)は先月の義父母(30,50年祭)に引き続き
法事(5年祭)を午前11時から行うとの事で
奥と自宅を9時40分頃、自家用車で出かける(運転手はビオラ氏)

10時40分頃到着するとすでに沢山の兄弟親戚の皆さんの姿あった。
それぞれに会釈して奥も私も座椅子に座る。
すでに数年前から正座も、あぐらも出来ないので畳の上は直接座れない。

神官さんは隣の小さい頃から知っているT君、親の跡を取り神官が声も大きく通るし振る舞いもすっかり堂に入っている。
下写真にあるように、最初は屋内での神事
次に近くの墓地まで車で移動しての神事
無事終了して義弟の挨拶あと解散
コロナの関係もあり皆さんとの会食も無しで各自、用意された弁当を受け取る。
前回、先月の法事時の小雨と違って寒かったが青空の見える恵まれた天候でした。

時の流れは早いものあれから5年経過
健康で長生き、これから先お互いに悔い無き様に日々生活したいもんです。

created by photogrid

奥の実家で30、50年祭

令和6年11月16日(土曜)は奥の実家で30、50年祭
義弟からの連絡で故義父義母の法事(30年50年祭)
早いものである義父が82歳、義母が53歳で没

自宅まで義弟夫婦が車で迎えに来てくれた(やっちゃんの往復
公民館まつりとダブったが断り法事の方に参加する。

神官さんは奥の同級生のKさんの息子が見えた声も大きく通るし
今日の法事の様子を見ても立派に跡継ぎが出来ている。

運転)
今回はごく身内だけの法事で開始は午前11時より
最初は奥の実家で祝詞を行いそのあと近くの墓地に移動する。
墓地では小雨降る中の祝詞ここでも玉串法典を行う

昼食は「おまる茶屋」の弁当を戴き自宅で食べた。

created by photogrid

百歳での旅立ち

令和6年10月13日義弟からの連絡で
祖父ちゃんが亡くなったとの知らせ今年3月にめでたく100歳の誕生日を迎えたばかりでしたが
転倒がきっかけで入院することになって
病院で静かに眠るように逝ったらしい・・まさに天寿を全うされた。

すでに親戚の叔父、叔母さん達が次々と他界のなかTさんはつい先日まで元気な姿が目につくが・・
100歳までよく頑張られた私ビオラ氏からみると後17年と言う事になるが
せめてあと10年は元気でいたいもんである。
それも健康寿命の中でピンピンころりがいいが・・・?σ(^_^;)

法事は下図表の通り
令和6年10月14日午後5時 お通夜
令和6年10月15日午後0時50分 出棺 

お通夜は私の運転で奥と出席したが
翌日の葬式は奥と実家の「むねちゃん」は病院の為奥は欠席し私だけヒデちゃんの車で
自宅までの送迎、奥の病院まで送戴く戴く
11時からの「出たてのお膳」から、神葬祭~出棺~火葬場までの儀式に出る。
午後4時頃でひきあげる帰りも自家用車で送っていただく(感謝)

葬儀での親族代表挨拶は孫のT君が素晴らしい内容の言葉で途中・・感情あふれる場面もあって胸に迫った。

山仲間の旅立ち

今年の2月のSさんに続いて10月6日iさんの旅立ち7日はメモリードホ-ルお通夜でした。
沢山の山仲間が見えていた。
また入り口には登山口装備(ストック、登山靴、ザック)と私が編集したアルバム集が飾ってあった。
約1.5年?癌との闘病生活で遂に帰らぬ人となった次々と長いあいだ感動を共有した山仲間が去って行くのは寂しい・・・
安らかにお眠り下さい(合掌)

created by photogrid

※在りし日のiさんい以下写真

mimiさん4年忌

2020年4月3日に膵臓癌で他界した奥の妹、あれから4年経過した・・
今日令和6年4月11日(木曜日)は朝雨だったので早朝登山はお休みした。
雨の中昼前、奥と2人で墓参りに行く(庭に咲いていたカラ-他の花を添えて合掌)
いつも一緒にアチコチと行動を共にドライブによく行きました。

山仲間の逝去

以前同じグル-プでの趣味を通して県内外の山々を一緒に数年にわたり登ってきた
彼女Sさん(82歳)の逝去を山楽のグループライン(地元の新聞コピ-)で知った。
令和6年2月19日11時からのM葬儀社に行く
受付を終えて会場にいると立派な花に飾られた祭壇ありその横に
在りし日の姿の写真、衣類(フラダンス)等々・・が

すでに山仲間のOさん達が見えて懐かしい写真を見ていた・・
私が作成したアルバム集、写真等もあり懐かしく当時を思い出しながら拝見する。
葬儀が始まり最後のお見送りまで見届ける。

私と同じ昭和16年生まれで数ヶ月年下の彼女はいつも「貴方とは同級生だからお互い80歳までは頑張って山に登ろうねと・・」
言っていたのだが
体調不良で70歳台後半でリタイアされた元気で行動派だった姿からは想像できない。
難関の北アルプス(ジャンダルム)、黒部渓谷(下ノ廊下)、世界のキリマンジャロと制覇して凄いと思った。
最初の頃、5人で一緒に登った北アルプスの北穂高奥穂高の印象が強烈である。
私の分まで、まだまだ頑張ってと・・声が聞こえてくるようだ。

在りし日の活動を改めてグ-グルフォト、Amazonフォト等から2011年前後の写真をダウンロ-ドして
アップした。
この中にはすでに亡くなられている方も数名いる。
どうか安らかにお眠りください合掌

1年忌

令和2年12月19日(土)は奥の義妹の1年忌でした。
あの日
令和2年1月4日丁度、私ビオラ氏の誕生日
スロージョギング中に訃報の知らせを受けた。
5,6日前に元気な姿で会話したばかりだったので
余りにもあっけなさに・・ショックを受けた。
あれから約1年経過早いものである。

奥の実家で
午前11時からの法事で自宅出発を9時過ぎ
新型コロナウイルスの渦中でもあり
法事は全員マスク姿で
御墓参りまで含め1時間で終える
直会は省略、写真の弁当を各自貰い解散

昼食はいただいた弁当を各自持参でHちゃん宅に
集合6人で故人を偲びながら
お喋りに花が咲く今日もビール焼酎が美味しかった。
お弁当は小丸新茶屋の料理で内容も豪華で美味しかった。

義妹とのお別れ

10歳違いの
奥の妹が1年前まではこんなに早く逝ってしまうなんて思いもしなかった・・
具合が悪いと昨年の誕生会で途中退座したとき、とても違和感を感じました。
病院の診察で原因が膵臓癌と解った時はすでに末期状態と言う恐ろしい病気です。
令和2年4月3日、午後9時46分没、68歳の生涯でした。
4月4日はお通や、4月5日は葬式と慌ただしかった。

丁度、新型コロナで外出等を自粛の時、ファミユ-では、ごく親戚だけの、お通や葬儀でした。
もちろん、全員マスク姿で座席も一列づつ交互に空席にして座るとゆう異例な式になりました。
式は神式で地元八幡宮の神官により無事終える。
県外にいる娘、息子達からの弔電は有り難かった。

とにかく、ここ数日・・
大学病院での末期状態から看病見守りされた遺族、兄弟親戚の皆さん
特にヒロ君アキちゃん大変お疲れ様でした疲れが出ない様にね。