田の神さ-踊り(指導)

9月11日に田の神さ-踊りの講師としてお願いしたいとのLINEメ-ルが届いた
発信者は元の職場同僚で毎月食事会をしているi氏だったので即、参加の返事をだす。
前日10日にi氏が我が家に来訪、田の神さ-の資料を持参、目を通しておいて欲しいとの事

田の神さ-についての、いわれ、歴史、種類ほか
宮崎市における「田の神さ-」象が129基ありその配置されているマップ等々よく調べられたと感心する。
当日の朝9時に迎えて来て頂き小松台の公民館へ直行する。
この公民館は初めて、数部屋があり一番東側の12畳ぐらいの部屋に通された。

プロダクタ-で私がアップしたYouTubeで田の神さ-踊りを鑑賞
ここで同じ地区の方が3名(女性2男性1)見える。

音楽に合わせて私が先頭に田の神さ-踊りをする(予め持参している、スピ-カ-とスマホが音源)
2回~3回繰り返して踊る。

あと談話とプロダクタ-で皆さん希望の楽曲を流す等々・・・
ランチはi氏が宮崎駅まえのビル3階にある食事処の中から「北諸」へ
肉料理の「しつまむし」人気NO1と生ビ-ルをご馳走になりました。

———–以下一部抜粋———–

「田の神」とは
「田の神(たのかみ)」は、古くから日本の農村で信仰されてきた神様で、稲作を見守り、豊かな収穫をもたらすと信じられています。この神様は、田んぼの近くにある石や小枝に宿るとされ、これに対してお供え物を捧げ、祈りを行う習慣があります。地域によっては、「農神(のうがみ)」や「作神(さくがみ)」、「地神(じがみ)
」とも呼ばれることがあります。
石像や石碑の建立の始まり
かっては、石や小枝が田の神の象徴とされていましたが、これではわかりにくく、失われたりするため、次第に文字が刻まれた石碑や、人の形をした石像が作られるようになりました。残っているもので、年代がわかるのは、江戸時代(1603~1868年)
中期以後のものです。鹿児島県の最古はきつま町にある宝永2年(1705)、宮崎県では小林市の享保5年(1720)、宮崎市高岡町では唐崎にある元文2年(1737)、旧宮崎市では生目長嶺にあるの慶応2年(1866)と書かれている像となっています。
田の神像の種類
宮崎県の分類では、
1. 神官型・・・神官が正装して座っている姿を模した像、市内に61基
2. 農民型・・・頭にシキ(縄を編んだ笠)をかぶり、手にシャモジやスリコギを持
った姿を模した像、市内に48基
3. 地蔵型・・・地蔵菩産や修験僧の姿を模した像。鹿児島県に多い。市内に2基
4. 田の神舞型・・・農民や神官が踊り出しそうな姿勢で、足を踏み出している動
きのある像。市内にはない。小林市、鹿児島方面が多い。
5. 文字碑・・・長方形の石碑に田の神などを彫り込んだもの、市内に15基
6. 自然石・・・自然石に田の神などの文字を彫り込んだもの、市内に1基
7. その他、大黒様型、仏像型、庚申塔などがありますが、「田の神」として地区でまつられているものは、「田の神」と扱われています。