「冠婚葬祭」カテゴリーアーカイブ

mimiさん4年忌

2020年4月3日に膵臓癌で他界した奥の妹、あれから4年経過した・・
今日令和6年4月11日(木曜日)は朝雨だったので早朝登山はお休みした。
雨の中昼前、奥と2人で墓参りに行く(庭に咲いていたカラ-他の花を添えて合掌)
いつも一緒にアチコチと行動を共にドライブによく行きました。

1年忌

令和2年12月19日(土)は奥の義妹の1年忌でした。
あの日
令和2年1月4日丁度、私ビオラ氏の誕生日
スロージョギング中に訃報の知らせを受けた。
5,6日前に元気な姿で会話したばかりだったので
余りにもあっけなさに・・ショックを受けた。
あれから約1年経過早いものである。

奥の実家で
午前11時からの法事で自宅出発を9時過ぎ
新型コロナウイルスの渦中でもあり
法事は全員マスク姿で
御墓参りまで含め1時間で終える
直会は省略、写真の弁当を各自貰い解散

昼食はいただいた弁当を各自持参でHちゃん宅に
集合6人で故人を偲びながら
お喋りに花が咲く今日もビール焼酎が美味しかった。
お弁当は小丸新茶屋の料理で内容も豪華で美味しかった。

義妹とのお別れ

10歳違いの
奥の妹が1年前まではこんなに早く逝ってしまうなんて思いもしなかった・・
具合が悪いと昨年の誕生会で途中退座したとき、とても違和感を感じました。
病院の診察で原因が膵臓癌と解った時はすでに末期状態と言う恐ろしい病気です。
令和2年4月3日、午後9時46分没、68歳の生涯でした。
4月4日はお通や、4月5日は葬式と慌ただしかった。

丁度、新型コロナで外出等を自粛の時、ファミユ-では、ごく親戚だけの、お通や葬儀でした。
もちろん、全員マスク姿で座席も一列づつ交互に空席にして座るとゆう異例な式になりました。
式は神式で地元八幡宮の神官により無事終える。
県外にいる娘、息子達からの弔電は有り難かった。

とにかく、ここ数日・・
大学病院での末期状態から看病見守りされた遺族、兄弟親戚の皆さん
特にヒロ君アキちゃん大変お疲れ様でした疲れが出ない様にね。

義弟嫁の急死

2019年は奥の親戚の従兄弟達が次々と他界した、宮崎市内在住のToさん、新富八幡宮、宮司のKさん、三股のHさん そして住吉の叔母さんと・・・
葬式が相次いだ。
また
今年2020年1月4日は昨年暮れの31日に長野から帰宮した息子家族を連れて挨拶し
庭の入り口で見送って、もらったばかりの
元気だった新富実家の嫁、Eさんが急死する(浴室内での脳内出血)
4日(土)仮お通夜、5日(日)お通夜、6日(月)告別式 と3日間は自宅と新富町往復で慌ただしかった。

丁度、4日朝のスロージョギング中、スマホに奥から直ぐ引き返してくれと急死の知らせあり
慌てて帰宅
あっけなく去って行ったEさんの死が、いまだに信じられない思い享年73歳だった。

5日のお通夜は、葬儀場は超満員、神式での玉串奉奠(たまぐしほうてん)は前列から振り返って見ると
長い行列が続いて、あとで受付の方に聞いて見たらなんと約400名近くの出席者に驚いた。
喪主の義弟Mちゃんは出席者の皆さん全員に玉串奉奠をして貰いたいとつぶやいていたので
その思いがかなって良かった。

今回、亡くなった親の跡を次いだばかりの神官のT君も二日間にわたり立派にお努めを果たし拍手を送りたい
奥の実家の隣り、親戚Tちゃんの息子で小さい頃、よく知っていた。

改めて、生前民生委員でもあったEさんの交友の多さには敬服だった。
丁度庭の蝋梅の花が満開で酔いしれる香りがとてもよい時期でした・・ご冥福をお祈りします。

兄の急死

今回、妹からの電話で兄の急死の知らせにびっくり・・
兄は自宅から7月30日に入所したばかりのショ-トステイ先で翌日31日の朝6時
心拍停止でぐったりとなっていた、慌てて県病院に緊急搬送・・約30分間蘇生したがダメだった。
聞くところによるとショ-トステイ先で囲碁をするのを楽しみにしていたらしいが
昭和12年生まれの82歳でした、もう少しは長生きしてもらいたかった!

私ビオラ氏は丁度、翌日(8月1日)からの北アルプスの遠征登山を予定し3年ぶり
楽しみにしていたがまさかである、残念ながら急遽断念した。
ほかの同伴予定の皆さんには申し訳ないσ(^_^;)

7月31日は午前中から県病院へ遺体引き取り、葬儀屋など連絡手続き他でバタバタ
肝心な息子は稲刈りの真っ最中で手が離せず、結局奥と二人・・急な事で何かと大変でした。
8月2日に通夜、3日に葬式を無事終える事で出来てホットしました。
親戚を中心に、こじんまりと、した家族葬でした。
こんな時しか会えないよねと花ヶ島地区の親戚、友達それぞれ皆さんいい歳を重ねておられる。

4人いた兄弟も13年前に弟を亡くし、ついに妹と2人になり寂しくなった。

7月17日は父の命日

父(74歳没)が亡くなり(ちなみに今の私と同年齢)すでに29年になる、早いものだ丁度、石原裕次郎も同じ7月17日なので
テレビ、ネット等でも報道するから、忘れることはない。

29回忌に午前中にご先祖の眠る墓参りに、同じ墓地内にある弟(62歳没)の墓にも参拝
その後、実家へ行き神棚へ参拝お線香をたてる。
実家には、父、母、姪とすでに写真が三枚並んでいる。いつの日が時が過ぎて、人は誰でも自然に帰ってゆく。
もう残された時間は、そんなに多くはないそれまで一日一生の思いで生きたいものだ。

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マンゴ君の誕生日

5555今日平成27年1月8日はマンゴ君の誕生日だね。
おめでとう~~

もう10歳かな・・はやいもので、すっかり身体も大きくなって・・
おねえちゃんを追い越しそうだね。
今日はどんな誕生日パ-テイかな?

一緒に祝えず残念だけど、また元気な一段とたくましくなった
まんご君との再会楽しみです。
お祝いに、ここをクリックするとお楽しみが・・。

義父の20年忌

早いもので義父が平成6年に逝ってから今年の平成26年12月で、ちょうど20年経過する。
私が53歳の時になる、気がつけば、だんだんその歳に近づいてくる。
平成26年12月6日(土)久し振り奥の実家で兄弟夫婦全員が集まった。
午前11時から神官さんに来て戴き御祓いをして戴く。

家での御祓いが終わると場所を墓地に移動してそこでも
御祓いの儀式、あいにく寒くて風が強くて、大きな神官さんの帽子が数回
飛ばされた。
丁度、正午より神官さんを交えた「直来の儀」で、沢山のご馳走がならぶ
いろいろ準備等一式をされた、実家の義弟夫婦に感謝である。

久しくくつろいで、最初はビ-ル次に焼酎を飲む頃になると
酔いの勢いもあってか、いつになく能弁になっていた。
他の兄弟皆さんは誰も飲まないのでほとんど1人酒だった。

最近は特にアルコ-ルが入ると
気分がよくなり躁状態になり、おしゃべり、歌、踊り・・・と
楽しくなる。

この日は土曜日で明日の航空祭に備えて
ブル-インパルスの飛行訓練がちょうど
真上いったいの青空のもと行われていた。

その迫力にしばし釘付けになり
思わず静止画、動画を繰り返し撮り続けた。

以下ネットより
ブルーインパルスは、航空自衛隊に所属する曲技飛行隊の愛称であり、航空交通管制における編隊のコールサインである。 当初は部隊の中の1チームという位置づけであったが、1995年には制式に1部隊として独立した。Wikipedia

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義父の飾って有る写真を見ていたら、つい昨日の様にあの日のあの時の思い出が蘇った・・・月日の経つのは瞬く間だ今できる事、今しか出来ない事
まずは健康一番に楽しく毎日を過ごそう。
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こんなに間近に目の前で繰り広げられる青空を舞台にした飛行アクロバットに冷たい風と寒さも
忘れて、しばし酔いしれた