「もくようヒマラヤ隊」カテゴリーアーカイブ

双石木曜会の仲間が6人
ヒマラヤへの道へ挑戦

もくようヒマラヤ隊宮崎空港へ

下のyoutube 動画提供のKさんありがとうございました。

目的のカラパタ-ル(5550m)登頂を達成された
もくようヒマラヤ隊の皆さん23日間の長い遠征の山旅を終え
今日 平成30年11月17日(土曜)無事に宮崎空港へ午後7:05分到着されました。
お帰りなさい大変お疲れ様でした。

双石木曜会の皆さん十数人が拍手でお出迎えしました。
女性の皆さんにはHさんから花束贈呈 涙と感動の一瞬でした。
また男性は長山旅を物語る様にひげ面でまさに山男の風貌かっこ良かった!
それぞれに握手しながら「よく頑張ったね」と健闘をたたえる。

また登山家立花さんの挨拶でもあった今回は過酷な強風など、辛かったが隊員の皆さんの強い意志で
登頂が成功したと・・・・。
また、それを物語るTさんの凍傷(右手、人差し指と中指)のあとを見せて戴いた。

我々双石木曜会にとっても大変名誉なことであり改めて拍手を贈りたい。
隊員の皆さんは、この体験によって、きっとお金では買えない素晴らしいものを得たと思う!

悪戦苦闘の15日間トレッキング、想像を絶する環境(寒さ、強風、息苦しさ)にもめげず
よく頑張られました、その強い気持ちには頭が下がります。
ヒマラヤ街道の通信によりその都度こちらまで感動もらいました。

まずは長旅の疲れをとられゆっくりお過ごしください。
会員の皆さんお出迎えありがとうございました。

事務局より
辛い状況を乗り越えて目的達成され
帰宮された隊員の皆さんから、
ネット通信又ライン等を通じて会の皆さんからの応援が道中大変励みになった!
と、嬉しいコメントを戴きました。

 もくようヒマラヤ通信(遠征21日目)

もくようヒマラヤ通信(遠征21日目)平成30年11月15日(木)
いつもの午後8時半頃 To隊員よりスマホにカトマンズから電話あり
以下・・

今日は完全休養日です。
お陰で皆さん咳も少しづつ回復
明日はホテルから夕方空港に向かうので
これが最後の電話です。

以下最後のyahoo!ボックス

11月15日(木)
今日は何の予定もなく、フリー。
隊員は朝食を一緒に食べただけで、後は皆さんそれぞれの考えで行動しました。
お土産を買い求めたり、自分の欲しい物を買ったり、明日からの帰国の準備をしたりして過ごしました。

ここでネパールに関しての豆知識。
日本との時差は3時間15分⇒日本が12時の時は、ネパールは8時45分
通貨はルピー⇒1ルピーは、約1円で分かり易い。ただ、物価は安く感じます。
色んな意味でインドの影響を強く感じます。
隊員の体調はあまり改善していない状況です。まだ皆さん咳が止まりません。匂いに敏感な状況もあります。しかし、暖かくゆっくり休んでいますので徐々に回復に向かうはずです。

To隊員のひとりごと
* エベレスト街道はヤクたちの糞塵で溢れていた。それはそこに暮らす人々の生活を支えるためであり、トレッキングを楽しむ人々を支えるためでもあった。糞は特に坂道に多くあった。
そこで私は思い出した。私の故郷では、排せつする行為を「バル」と言っていた。
坂道になると、ヤク達も苦しそうにハ~ハ~と息をしている。そこへヤク使いたちが「早く登れ」的な感じの声掛けをする。

時には縄で叩いたりする。そうするとヤクは踏ん張る。と同時に「糞バル」
そうです。坂道に糞が多いのは、ヤクが踏ん張って「糞バル」からなのでした。
黙々と歩きながら私の脳はそんな事ばかりを考える。
いかんいかん、また登り坂だ。私もお漏らししない程度にふんばろう。
(これから先も永遠に)

* カトマンズはネパールの首都。日本人からみると喧騒の世界だ。エベレスト街道には自然の刺激しかない。
だから脳は色々考えて妄想を膨らます。
カトマンズには店、人、物、色、音等人工の刺激がいっぱいだ。
だから私の小さな脳は刺激を受け止め情報を整理するだけで精一杯。
私にとってはどちらが良いのだろうか。やはり自然の刺激、人工物の刺激、両方をあじわえる宮崎があっているようだ。そして欲を言えば、木曜会の山登りの時フランス人形と出会いたいものだ。(やはり私の脳は、あまり反省していなかった。)

* 明日は夕方から帰国に向けての移動が始まる。
To隊員からの通信及び一人ごとはこれが最後。
ご多用な中にありながら毎日電話を受けて頂いたり、文章をアップして頂いたS会長には心から感謝申し上げたい。
また通信を見て下さった木曜会の皆様にも心からお礼を申し上げます。
明後日なるべく元気な笑顔と髭づらで宮崎に帰ります。
22日にはぼろいし山に登ります。29日には忘年会に参加します。宜しくお願いします。

※下のyoutubeはiさん撮影によるカトマンズ散策です

もくようヒマラヤ通信(遠征20日目)

もくようヒマラヤ通信(遠征20日目)平成30年11月14日(水)いつもの午後8時半頃To隊員より
スマホに電話あり、
午前中は仏教施設回り
午後は買い物、今は立花さんの知人宅での食事会で移動中
詳しくはYhooボックスで通信するとの事でした。
少しづつ皆さんの体調は回復している。
 以上

事務局
今回のTo隊員による
下記の通信記録でカラパタール登頂の感動の裏に想像を絶する苦しさを克服された
隊員の皆さんに改めて拍手を送りたい、おめでとうございます!
宮崎空港に帰宮の日(11月17日土曜午後6時50分)は双石木曜会の皆さんでお出迎えをしたいもんです!
もくようヒマラヤ通信、1年前の準備段階からのブログをまとめました

今回こそは先日買ったスマホの通信記録をする器具を
活用してみたがどうも上手くいかない、早く日本語仕様書が届かないかな!

以下yahooボックスの通信記録

 11月14日(水)
今日も、カトマンズでの予備日です。9時から希望者で史跡巡りをしました。
スワヤンブナート(猿寺)にはその名前の通り沢山の猿いました。
チベット仏教とヒンズー教の融合も見られ興味深いものがありました。
ボーダナート(チベット仏塔)は、数年前の大地震でほとんど壊滅状態となったそうですが、
立派に再建されていました。1周200mもあろうかという巨大な仏塔でした。
両方とも信者にとって聖地です。
また一般の人にとってもパワースポットとなっていて、たくさんの人であふれていました。

観光は午前中で終わり、午後からはそれぞれに買い物や観光、休養に当てました。
夜は立花さんが懇意にしているミンマさんのお宅に招待されていって来ました。
家族以外にも親族を含めての大歓迎に驚きました。
沢山のご馳走を準備して頂き家族、親族、遠い親戚まで、
関係を説明されても分からないぐらいの多くの人との夕食は素晴らしいものでした。感謝(上の写真)

TO隊員のひとりごと
*全125キロメートル、15日間のトレッキングで一番きつかった日を上げると皆間違いなく
「カラパタール(黒い石)登頂の日」を上げる。ただでも前日は今までで一番高いゴラクシェップ(5140m)だ。
体の準備が追い付かず、トイレに行くだけでも息が上がり苦しい。
シュラフを出し入れするにも時間がかかりハ~ハ~いう状況だ。

そんな中、朝5時の真っ暗な中ライトを付けて歩き出す。目指すは5550mのカラパタール山頂。
息苦しさと寒さと強風との戦いだった。体感温度は氷点下20度位ではないかと思う。
寒くてきつくて苦しくてたまらない。
そういう状況になると脳は勝手に反省を始めるらしい。
こんな苦しい思いをするのは、あの時のあの行動が悪かったからだ。

17年前フーデリーで豆腐を2丁買ったのにレジで1丁分しかカウントされていなかったことを黙っていたので
今こんなに苦しい思いをしないといけないんだとか、みみっちい私はしみったれた反省をしながら黙々と登り続けた。
ガイド、ポーターを含めて7人が登頂した時は感動だった。
エベレストまで8Kmのところから直接この目で世界一の山を見ることができた。
写真も撮った。とっとと降りよう。下山中の私の脳は反省の固まりではなかった。
早く下山して温かいものを口にしたい。
「喉元過ぎれば反省を忘れる」私の脳は、やはりいい加減だった。

*トレッキング最終日に、ルクラでサクセス(成功)セレモニー(儀式)を行った。
文字通り当初の計画であるカラパタール登頂の成功を祝ってのものだ。具体的には我々隊員とそれを支えてくれたガイド(文字通りガイドをする他に、ロッジの手配、食事の世話、ポーターとの連絡調整等)、ポーター(荷物を運んでくれる人、今回は最初4名)が集まりお礼のボーナスを渡す場となる。
我々隊員はカラパタール登頂を改めて喜び、ガイド、ポーターはボーナスを貰って喜ぶ。
なかなかハッピーなセレモニーだった。

もくようヒマラヤ通信(遠征19日目)

※下のShow slideshow(スライドショ-)はS隊員よりラインで画像の送信あったもの(11月13日)、何回見てもいいね感動が伝わってきます!

11月13日の報告(To隊員)同日yahooボックスに通信あり
今朝は8時半からホテルでの朝食。日本のホテル程では無いものの必要なものの揃った素晴らしい朝食でした。
今までの生活を考えると桃源郷です。
9時半から、ガイドのペンバさんに案内してもらっての観光。
ネパールのヒンズー教総本山的な感じの「パッシュパナート」に行きました。

ガンジー川支流の一つに接しています。木材を積上げ亡骸を燃やしているところや灰を川に流しているところを見ました。
文化や宗教の違いを目の当たりにしました。
午後はフリーでした。そそれぞれにゆっくり休んだり、買い物を楽しんだりしました。

TO隊員のひとりごと
(今はカトマンズにいますが、トレッキング中のひとりごとです)
*エベレスト街道を歩いていると、
刺激がなく糞をよけることや皆さんに迷惑をかけないようにひたすら黙々と歩くことしかありません。
そうすると脳は勝手に考え始めます。

多くの隊員が考えていたことは「日本に帰ったら何を食べようか?」でした。
ある人はうどん、かつ丼、すし等皆さん同じようなことを考えていました。
私のような俗な人間は、「あのスナック(10年ぐらい前に一度連れて行かれただけの店)のママの顔をみたいな」的な事まで脳が勝手に考え始めます。
これもまた一種の高山病でしょうか?それとも根っからのスケベ根性なのでしょうか?

*高く登る程に空気が薄く、またすんでくるようです。今回のトレッキングが天気に恵まれたこともあり、夜になると満天の星空 が見られました。夏の大三角、カシオペア座、オリオン座等素晴らしい星空を手が届きそうな感じで見ることができました。
一度でも星の観察会をしたかったのですが一回も出来ませんでした。

何故なら、皆さん疲れ切って星どころではない事。もう一つの理由は、寒くて早く寝袋に入って休みたいという思いからでしょう。トレッキング中は、いつも7時から8時の間には寝ていました。
そうです、トレッキング中は皆幼稚園児のような生活のリズムを守っていたのです。

多分このリズムも高山病の一種だと、何でもかんでも全てを高山病にしたがる自分がいます。
(本当は薄い空気で認知症が進んでいるのではないかという思いをごまかすためなのです。)
カトマンズにもフランス人形がいたらいいな、と妄想しつつ寝ます。
木曜会の皆様おやすみなさい。

※事務局より(行程計画参考)
今後の予定は11月15日(木)までカトマンズ滞在
ルクラからカトマンズ滞在まで利用する小型機は天候不良の欠航が多いための措置です。
カトマンズ滞在中はボ-ダナ-ト(チベット仏塔)スワヤンブナ-ト(猿寺)、パジュパテイナ-ト(ヒンドウ-教寺院)等の
世界遺産巡りや、トレッキング用品店、お土産屋さん等での買い物など・・・

16日 ホテルから空港(カトマンズ・トリブバン空港)へ ~キャセイパシフイック便で香港へ
17日 香港~福岡~宮崎空港着  18時50分

もくようヒマラヤ通信(yahooボックス)

yahooボックスに久しぶりに通信があった(下記)

写真説明(上)
本隊が無事にカトマンズ到着。N隊長と9日ぶりにホテルにて再会する。

立花談
11月12日7時起床、8時15分ルクラ空港に向う。
飛行機は2時間ほど遅れ、10時30分離陸。
11時頃カトマンズ到着。
ホテルロビーにてN隊長と9日ぶりに再会を果たす。

皆疲労は蓄積しているが喜びの再会だった。
その後日本食を全員で食べる。
17日ぶりの味に皆感激する。
その後ホテルにて入浴、ゆっくり過ごす。

T隊員は右手人差し指と中指に負った凍傷の治療の為に立花と共に病院へ行く。
感染防止の処置をして、自然治癒をはかる。
また発熱もあったため、点滴を受け体力の早期回復をはかる。
明日は疲れの残っている隊員は休養、他の隊員はカトマンズ市内の世界遺産観光の予定。

もくようヒマラヤ通信(遠征18日目)

11月12日(遠征18日)今日はヒマラヤ街道とのお別れの日。
朝8時30分にルクラ空港を出る予定でしたが2時間待たされ10時30分に離陸しました。
無事にカトマンズに着きほっとしています。昼、夜共に日本食を食べて大満足風呂にも入れました。
寝袋ではなくベベッドで寝ます。

※To隊員の一人ごと
ヒマラヤ街道に行く前は妄想していました。
エベレストに続く厳かな美しい街道。だと思っていました。しかし現実は違いました。
街道は沢山の人も歩きますが、ロバ、ミュー、牛、ギョッシャ、ヤクなど沢山の家畜が荷物を運ぶために行き来しています。
そのため街道は糞だらけ。乾燥していますので、やがて乾き、人に踏まれ、土に変わろうとするのですが、出来たての糞を踏んだ時の気持ち良さ。

粉塵(糞塵)の何とも言えない匂いマスクは必需品エベレスト街道にかなりの糞塵街道でした。
ただ、糞塵街道に時々映画俳優ばりのいい男が歩いています。
(これは女性隊員の感想です)西洋の男はかっこいいそうです。
私も時々フランス人形とすれ違いました。
きっと高山病による幻だと思います。

以上今回は電話でなくS隊員のライン通信より

もくようヒマラヤ通信(遠征17日目)

※写真はトレッキング始まりの街「ルクラ」
もくようヒマラヤ通信(遠征17日目)平成30年11月11日(木)
午後8時20分いつもToさんからスマホに電話あり
今日の出発は午前9;40分~午後1時半にルクラに到着
4時間30分のトレッキングでした。

Toさんの一言

体調全員悪し
咳をしながら黙々と歩く
ルクラから上る人は明るく、靴はピカピカ
ルクラに下る人は靴は真っ白で黙々と・・・・(;´Д`)
今夜は世界一危険な空港があるルクラに泊

※参考までに今日の計画行程
8時起床9時出発、行程は標高2650mのパクデインから
標高2800mのルクラまでアップダウンのある暖かい登りです。

※ルクラの事をネットより転写
エベレスト街道の始まりの街であるルクラへは、首都カトマンズから飛行機で行くのが一般的です。しかしこのルクラ空港、「世界で一番危険な空港」と言われるほど危ない空港です。ルクラは「街」と言えども山間の小さな集落、その斜面に貼りつくように作られたのがルクラ空港。小さな空港ですので小型プロペラ機が離着陸するのが精一杯。操縦も目視に頼る部分が多く、霧などの悪天候では飛べません。山の天候急変は日常茶飯事。飛行機利用の際は日程に余裕を持っておきましょう。

もくようヒマラヤ通信(遠征16日目)

もくようヒマラヤ通信(遠征16日目)
平成30年11月10日(土)Toさんより午後8時半に電話あり
行程計画通りナムチェバザ-ル(3440m)を午前9時出発して
パクデイン(2610m)に午後4時半到着する、ここのロッジ泊
休憩を別にして実質 6時間の歩行
今日は800m下った。
天候、今までは晴天だったが午後から小雨の中を歩く

Toさんの一言
空気が乾燥していて喉、鼻に違和感あり
14日間の歩きで皆さん疲労困憊状態である(疲労がたまっている)
咳をすると痛む、歩いている時、妄想状態になる。
高度が低くなったが高山病の薬(ダイアモッコクス)を飲む
以上の報告がある。

 電話の先から
 大変な様子が伝わる・・明日はいよいよ「ルクラ」に到着予定です。
 ゴ-ルが近くなった、どうか最後のカトマンズまでガンバ~!
 フレーフレーご無事を祈りたい。

※参考までにナムチェバザ-ル(3440m)~パクデイン(2610m)間の景観等
下の写真はネットより転写ナムチェバザ-ルの街並み

もくようヒマラヤ通信(遠征15日目)

もくようヒマラヤ通信(遠征15日目)
平成30年11月09日午後8時15分ごろ
本隊のToさんからスマホに電話あり
宿泊地午前8時出発して12時半ナムチェバザ-ル3440m
今日は明るい内に到着
シャワーをあびる。

カラパタ-ル5550m登頂から約2000m下ってきた事になる。

もくようヒマラヤ通信(遠征14日目)

平成30年11月08日午後8時30分ごろ
本隊のToさんからスマホに電話あり
宿泊地「パンボチェ」を出発して5時間のトレッキング
今日は約700m下った(地図参考)

行程表にない宿泊地(ナムチェあたりかな?電話ではっきり聞き取れなかった)まで到着
また、立花さんと合流する(まさかと思い感動した)
4人とも元気、快調である。
4日ぶりに下着を着替えたら超気持ち良かった。